Tuesday, February 12, 2008

4 жилийн өмнөх би

Сая компьютерээ янзалж байгаад нэгэн сонирхолтой материал оллоо.
Яг одоогоос дөрвөн жилийн өмнө үүнийг нэгэн зохион бичлэгийн тэмцээнд илгээж байсан юм. Харамсалтай нь ямар нэгэн байранд шалгарч чадаагүй ч, тухайн үед үүнийг бичсэнээрээ нэг л юм олоод авчихсан юм шиг санагдаж байлаа. Үг үсэг, дүрэм, найруулгын гэх мэт алдаагаа ээжээрээ засуулж байсан юм. Ээжийгээ завгүй байгааг нь мэдсээр байж албатай юм шиг хагас дутуу, хачин юм барьж очиж байснаа бодохоор ичих шиг... За ямартаа ч 4 жилийн өмнөх Болдмаа юу бодож байсныг сонирхуулъя.
Жич: Тухайн үедээ л хүч хөдөлмөр гаргасан бүтээл минь юм. Зөвшөөрөлгүйгээр бүхэлд нь болон хэсэгчлэн хуулбарлахгүй байхыг хүсье.



大草原の中のボランティアたち
J.ボルドマー
   (モンゴル国立大学 コンピューター・数学学部 応用数学学科1年)



はじめに

「ボランティア」 という言葉は『広辞苑』には「志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人。」 と書いてある。その他「ボランティアは何でも自分でできる人。」と目にしたこともある。「ボランティア活動」と耳にすると、なぜかとても遠く感じられることはないだろうか。どのようなことをしたらボランティアになれるかとも考えたことはないだろうか。しかし、ボランティア活動は私からも、貴方からも始められるものだろう。
私たち市民は生きるために、いろいろな活動をしている。もちろん仕事をして給料をもらうものだが、それ以外にも実は無償で活動をしている。例えば、人と人のコミュニケーション、それから社会の市場での売買も無償で社会事業に参加していることになる。
そうだ。私たち人間は皆ボランティアで、ボランティア活動は私たちの側から始まるものなのだ。


その1
祖母の家での夏休み
-無垢で純粋な心のボランティア-
私は小学の頃、夏休みになると田舎の祖母のところへよく遊びに行った。祖母は4種類の家畜を飼い、毎日毎日が家畜の世話で忙しく、その上家事や孫である私の面倒を見るなどとても大変な様子だった。
ある夏のこと、近所の人が急用でウランバートル市へ行くことになり、後のことは全部祖母にまかせて行ってしまった。祖母は自分の家畜のみでなく、近所の家畜の面倒も全て見、残った子どもたちの世話、家事、乳製品作りも全て引き受けていた。それが、当たり前のことのように一生懸命だった。祖母だけでなく、すべての遊牧民はみな、いわゆる「ボランティア活動」のことなど一切知らずに「自ら進んで」人と助け合ってきたのだ。これはボランティア活動が昔からこの土地に存在していたことを証明しているのではないか。
一方、都市の人はというと「ボランティア活動」のことは度々耳にしながらも、自分がそれをしてみようとは全く思わない。ボランティア活動が自分達の身近にあることを知っていながらもしないのだ。
 ここで田舎の遊牧民たちが無垢な「ボランティア精神」をそのままに保ちつつ、国際ボランティアに参加・協力するという可能性が考えられる。



その2
ゾッドとの戦い
-不幸が来る時、友の質がわかる-
ゾッドとは冬になると雪が積もり、家畜が枯草を掘り起こすことができず、餓えと寒さで100万頭以上も死んでしまう大惨事のことだ。
例として1999年から2000年に起きた深刻な雪害が挙げられる。このゾッドで約225万頭の家畜が死亡した。そのため、遊牧民は生活の糧をなくし、都市に押し寄せ、失業層が増えつつある。なにより恐ろしいのは、この家畜産業がモンゴルの経済を支えているということなのだ。なんと、家畜産業はモンゴルの国内総生産の3割以上を占めているものの、上記の2年連続のゾッドにより、産出が22.5パーセントも下がった。このことから遊牧民のみでなく、国民すべての生活が悪化するに至った。
こんな困難な事態から切り抜けるのに力を貸し、援助を惜しまなかったのが世界各国の政府、国際諸機関、NGOだった。
特に一番近くで援助してくれたのが日本だったのだ。日本政府は2年連続のゾッドの被害を受けているモンゴルに対し、約13億万円の緊急無償援助を実施した。もちろん資金の他、生活確保用物資、家畜対策用物資などがあった。
しかし、これらは無償であるために、最近の若い遊牧民達はこの援助を頼りにし、自らは進んで何もしなくなったようだ。いわゆる無垢な「ボランティア精神」をだんだんと失いつつあるのだ。そのため、遊牧民にとってお手上げだったこの自然災害-ゾッド被害は遊牧民たちの無責任な状態ゆえに起きるトラブルに変わってしまっているのだ。自然災害が人災に変わってきているのではないかと不安だ。
国際協力とは両者がお互いに支え合って進む事業だから、援助を受けているモンゴル側にも何ができるかを考えてみよう。


その3
遊牧民にできること
-恩返しはすぐに-
遊牧民ばかりのモンゴルでも一年中の天候の予測をすることはできる。ゾッドが起きる恐れも何ヶ月も前にテレビやラジオで報告される。しかし、政府はこの予測を知っていながらも、予防や対策を十分にすることなく、ゾッドの被害を受けた後で初めて騒ぎ始める。また、ゾッド被害にあって援助を受けた遊牧民たちが、また同じようにゾッドで被害を受けるという繰り返しは許されないはずだろう。ミスを起こしたサラリーマンに例えれば明らかだ。しかし、その援助を受けた遊牧民たちが怠け、次の援助を待っているのだ。なぜなら、どうせ援助が入ってくるのなら夏の間は冬の準備より精一杯楽しんで過ごそうと思う若い遊牧民も少なくないからだ。
こういったあらゆる事情でゾッド被害がもっと増大化していくのだ。だからこそ、ゾッドが起きる可能性が高い年は政府からの対策と遊牧民たちの冬の準備が大事なのだ。また、前年にゾッド被害にあって援助を受けた遊牧民たちが、若い遊牧民に自分達の経験やテクニックなどを教え、次のゾッドでの被害を減らせるようなボランティア活動もありがたいものだろう。
「経験やテクニックを教えてやっても、自然災害には勝てない。」と思う人も少なくないだろう。しかし、モンゴルには「未熟な遊牧民の家の外だけがゾッドになる」と言い伝えがある。昔のベテランの遊牧民達はもう夏からその年の冬の状況を知ることができた。それは長年の経験とモンゴル伝統的な知恵によるのだ。もちろん、これらの知恵は科学ともつながっている。この知恵を持つ者なら誰でもゾッドには負けないはずだ。
日本からの援助の方法をみると、一般的にはゾッドの被害を受けた後の資金や物質的なものはあるが、ゾッドの被害からの予防、被害を減らすための教育などに関わる活動はあまりないようだ。それからJICAなどの団体のボランティアはみな日本人だ。ボランティアになる資格も「国籍が日本」と書いてあった。モンゴルの遊牧民がJICAのボランティアにはなれないのだろうか。
援助を受ける側もいつか援助をする側になるためにこそ国際協力があると思う。モンゴルもこのまま被害があるたびに、ただ緊急援助を受けているのではなく、「恩返し」しなければならない。
その恩返しとは先進国の日本にないモンゴルの宝を分けること、それからモンゴルも日本のように先進国になり、日本の競争相手に立つことだ。



その4
草原の中のボランティアたち
-遊牧民が国際ボランティア?-
ゾッド被害にあった遊牧民達は確かにゾッドになるたびに最低でも何か一つは経験を得る。その経験に基づいて、次のゾッドと戦うことが大事だ。ここで次の意見を援助する側である先進国に勧めたい。
1. 一人に一度
被害にあった遊牧民は一度だけ援助を受けるべきだろう。その援助で立ち直り、何が悪かったのか、どのようにしたらゾッド被害を再び受けないかなどと反省し、次の年の準備に早速取り組むことが必要だ。家畜を飼うことは、ただの日常生活での掃除、料理などとは違う。これは、モンゴルの経済を支えている重要な産業なのだ。だから、ゾッド被害にあえば、国に対しても責任を感じなければならないことは言うまでもない。そのため、援助する側も援助をしてそのまま放任するのではなく、その後も遊牧民達との交流を保ち、次の行動などにも注意を向けることで援助の効果を知ることができる。

2. 援助を受けた遊牧民がまた援助を?
 援助を受けた遊牧民はその援助で立ち直り、被害で得た経験や知恵を他の遊牧民とも意見を交わし、若い遊牧民にもいろいろと教えることはできる。要するに、援助を受けた遊牧民が他の遊牧民達の役に立つボランティアになることだ。モンゴル人にモンゴル人遊牧民がボランティア活動をしてあげれば、モンゴルの事情や家畜のことも熟知しているので、相互理解にも苦労せず、とても効果的なボランティア活動となるのではないか。
本物の国際ボランティア専門家にならなくても、遊牧民であれば自ら進んでできることは多いが、遊牧民たちは話す技能があまり優れてはいない。一言で、自分が知っていることや思ったことなどを言葉にするのが苦手なのである。ここで先進国のODAの出番だ。自分の心や知識と重ねて本物のボランティアになる意識と、ボランティア活動の具体的な方法を専門的な知識に基づいて伝えてもらいたいものだ。その専門的な知識を与えられるのがODAなのだ。そのためには、ODAによる遊牧民たちのためのボランティア活動の専門的な知識を与える学校やコースなどを開講する必要があろう。
ボランティア活動の知識だけではなく、家畜産業に必要な知識や技術など科学的な知識も必要だと思う。名づけて「遊牧民向け家畜産業教育」だ。
 モンゴル人の遊牧民が、やがて国際ボランティアとして活躍する日も訪れるのではないか。


その5
モンゴルのワイルドライフにチャレンジ
-遊牧民を世界のアイドルに-
 誰の手も触れられていないワイルドな自然と生活はモンゴルだけにあるとよく言われる。果てしなく続く広々とした大草原、自然と共に生きる美しい心の遊牧民たち。これらがモンゴルの宝物だ。この宝を長く守り続け、自然のまま保ってきたのが遊牧民達だ。その人たちをぜひ世界のアイドルにしてやりたいと私は心から思う。私が今こうやって生活しているのも遊牧民達のお陰だ。私だけではなくモンゴル国が存在しているのもこの人たちのお陰であるのは言うまでもない。こんな善行者たちと彼らの知恵と努力をただモンゴルだけで終わらせるわけにはいけない。
現代科学で証明されたことも、遊牧民ははるか昔から、体験から知り、日常生活に使用していた。モンゴルの遊牧民の生活は、実はすべて科学的な裏づけがあるものなのである。その知恵を世界中の人々に知ってもらい、教わってもらい、それから尊敬してもらいたい。また、モンゴルのワイルドライフにチャレンジさせ、自然を守ることの大切さも知ってもらいたい。今はハイテクの時代だ。けれども、こんな時代にもモンゴルの遊牧民の知恵は決して不要なものではない。きっと日本の子どもたちの遠足先はモンゴルの大草原になる日が来るだろう。
これはとても素晴らしいボランティアだと思う。こうして、ODAが途上国を支え、途上国もできるだけ努力し、国際協力に参加すれば、ODAが本当に意義深いものになるだろう。
そんな日が訪れるのは、はるか遠い未来ではないと信じている。



おわりに

私も祖母のように無垢で純粋な心のボランティアになり、世界の人々のために役立ちたいと思う。世界の未来は私たち若者の手にあるのだから。
 「三人寄れば文殊の知恵」と言うように、未来を輝かしいものとする知恵は私たちの中にあるのだ。



参考URL
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/news/news_1/news_2_b1.html
http://www.fedu.uec.ac.jp/FEDU/Wordl/Mongol/report01hara.htm
http://www.mclibrary.edu.mn/mwa2002/team/team16/